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なぜ、“女子フットサル”を選んだのか?(2025年7月16日発行)

「フットサルなんですね」
「どうして女子なんですか」

ありがたいことに、そう聞いていただく機会は少なくありません。

正直に言えば、この問いに対して、いまも明快な答えを用意できているわけではありません。
ただ──あのとき、この判断をした自分に、納得している部分があるのも確かです。


サッカーではなく、フットサルだった理由

当初、僕の中には「サッカー」という競技へのロマンがありました。

けれど、北海道・旭川で一定期間暮らし、考え続けるなかで、構想は少しずつ変わっていきました。

道北エリアでは、冬の長さと積雪量の影響で、多くのフットボールプレーヤーが屋内での活動を余儀なくされます。

その環境は、見方を変えれば、フットサルの技術を磨きやすい土壌でもある。
この地域特性は、競技力向上における「地の利」になり得る。

そう考え、「フットサルで始めよう」という判断に至りました。


なぜ「女子」だったのか

それは、ジェンダー政策的な意図でも、単に市場性を見込んだ判断でもありません。

理屈よりも先にあったのは、構造に対する直感でした。

僕自身は、小学生の頃からサッカーを続けてきました。
恐れ多くも、プロを目指していた時期もあります。

けれど、「女子フットサル」という領域において、僕は競技者ではありません。

似た経験をしてきたからこそ、安易に重ね合わせて語ることの危うさも知っています。

だからこそ、自分が引き受けるべき役割は、別の場所にあると思いました。


「描く側」に立つという選択

僕が担おうとしているのは、プレーすることではなく、
構想を描き、仕組みをつくり、環境を整えることです。

スポーツという営みを、どう支え、どう社会と接続させるか。

その視点で見たとき、日本の女子フットサルは、
制度も、商業性も、評価の構造も、まだ十分に整っていない領域でした。

競技レベルと社会的評価のあいだにある大きな隔たり。
そこに、「伸びしろ」という言葉では足りない余白を感じたのです。


まだ、誰も決めきっていない場所で

すでに形が固まりきった場所には、新しい人が入り込む余地は多くありません。

でも、まだ誰も決めきっていない場所なら、話は違う。

もちろん、女子フットサルの世界には、尊敬すべき先人たちが数多くいます。

そのうえでなお、「まだ始まりきっていない」という感覚が、この領域にはありました。

だからこそ、誰かの姿勢が、これからの景色をつくっていく。

その瞬間に立ち会っていたい。
そんな思いも、この判断を後押ししていたのだと思います。


この判断は、まだ途中にある

僕たちは、いまも道の途中にいます。

「誰が決めたんですか」と聞かれたら、
「僕です」と、はっきり答えられます。

「それは正しかったですか」と聞かれたら──
その答えは、まだ保留にしておきたい。

この判断を、いつか「よかった」と言えるように。

今日もまた、目の前の選択を重ねています。


※本稿は、メールマガジン「この判断で、よかったか? 女子フットサルクラブの『経営』と『感情』の実録」の記事を、WOELFE PACKメンバー向けに再編集したものです