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スポーツとアート(2025年8月6日発行)

スポーツとアートのあいだで

「アートって、必要なんですか?」

そう訊かれることが、ときどきあります。
その問いは、まっとうで、正直なものだと思っています。

フットサルクラブとして活動しながら、
展覧会をひらいたり、kitpasを製造する日本理化学工業株式会社と協業したり、
最近ではNoMaps2025への出展準備も進めています。

一方で、試合情報や選手情報は、今のところ積極的には発信していません。

そんな僕たちが、「アート」と呼ばれる領域で何をやろうとしているのか。
正直に言えば、自分たちでもまだ、はっきりと言葉にできない部分があります。

それでも──
やる意味があると感じてきた時間が、たしかにありました。


表現する場をひらいたとき

初めてkitpasを使ったコラボレーションを行ったとき、
僕たちは「表現する場」をひらきました。

アーティストやクリエイターがクラブと対話しながら、
その世界観を少しずつ可視化していく。

イベントに訪れた人たちが、kitpasを手に取り思い思いに線を重ねていく。

そこにあったのは「応援する人」と「される人」という関係ではありませんでした。

同じ空間で、ただ一緒に何かを生み出している人たち。

その感覚は、試合の観客席では、なかなか育ちにくいものです。

選手とファン。
主催者と来場者。
クラブと外部の協力者。

そうした境界がいつの間にか薄れていき、ただ「共にいた」という感覚だけが残っていました。

もしかすると、これが僕たちがアートに手を伸ばした理由のひとつだったのかもしれません。


「伝える」のではなく、「重なる」

アートを通じて「伝える」のではなく、アートを通じて「重なる」。

それは、スポーツだけでは出会えなかった人たちと、
まったく新しい接点をつくる方法でもありました。

NoMapsに出展するのも、同じ理由です。

競技成績で語るのではなく、構想や問いかけを通して、クラブの存在意義を共有していく。

何をしているのか、よりも。
なぜ、それを選んだのか。

その「選び方」そのものに、クラブの価値を宿したいと思っています。


問いを忘れないために

「スポーツ×アート」という言葉が、都合のいい掛け算になってしまわないように。

活動を重ねるたび、僕たちは自分たちに問い直しています。

なぜ、アートなのか。
なぜ、わざわざ「やる意味」を探し続けるのか。

答えは、まだ出ていません。
でも、問いを忘れたくない。

何かを創っているときの、あの眼差し。
静かに見つめる目の奥に宿っていた熱。

あの感覚を、僕はずっと忘れられずにいます。


※本稿は、メールマガジン「この判断で、よかったか?女子フットサルクラブの『経営』と『感情』の実録」の記事をWOELFE PACKメンバー向けに再編集したものです