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フィリピンにいってきます(2025年11月5日発行)

フィリピンに行くという決断

来月、フィリピンに行きます。女子フットサルでは史上初となる、FIFA主催のワールドカップが開催されるからです。

飛行機も宿もチケットも、すでに確保しました。行くと決めるまでには、正直かなり迷いがありました。

手放しで「楽しみだ」と言える気持ちではありませんでした。治安のこともあるし、現地の雰囲気もわからない。大会そのものがどれほど社会に注目されるのかも、想像がつきませんでした。

それでも、行くことにしました。理由を並べればいくつも出てきますが、どれも決定打ではない。ただ「そこで感じることを、感じにいこう」と思えた。その感覚を信じることにしました。


世界の公的な歴史に刻まれる瞬間

FIFAが女子フットサルというカテゴリーで正式に世界一を決めるのは、これが初めてです。つまり、女子フットサルという競技が“世界の公的な歴史”に刻まれる瞬間でもあります。

舞台はマニラ。雨期を抜けた熱と湿気のなか、世界各国の代表が集まり、初代チャンピオンを決める。

ただ、現地がどこまで熱狂するのかは未知です。サッカーのワールドカップのように、国全体が祝祭に包まれるわけではないでしょう。女子フットサルは、まだ主役級の競技ではありません。

だからこそ、その空気をこの目で確かめたいと思いました。どれほどの温度で、どれほどのまなざしで、この大会が受け止められるのか。


「行かないのは、違う気がした」

今回の渡航理由を、うまく説明することはできません。「行かないのは、違う気がした」。それがいちばん近い感覚です。

誰かに頼まれたわけでもないし、行かなくても困る人はいない。それでも、行かない自分を想像したとき、小さな後ろめたさのようなものが残りました。

その感覚を義務と呼ぶのかもしれません。ただそれは、誰かに課されたものではなく、自分が自分にかけてしまったものです。

「見届けたい」という気持ちと、「行かなければ」という気持ち。そのあいだを何度も行き来しました。


寂しさの正体

揺れの根にあったのは、少しの寂しさでした。

女子フットサルを支える人の数は、まだ多くはありません。関心を向ける人の数も、十分とは言えない。

だからこそ、誰かが見届けなければという思いが生まれる。でもその“誰か”に自分を置いたとき、どこか孤独を感じる自分もいました。

「行かなければ」と思ってしまう自分を、少し寂しく感じる。その感情もまた、本音でした。


意味を決めないまま動く

いまはもう、行く理由を探してはいません。あらかじめ意味を決めてしまうと、その枠のなかでしか感じられなくなる気がしたからです。

ただ、行く。それだけでいいと思えるようになりました。

行けば何かが見えるはずだという期待はあります。でも、それが何かはわからない。“わからないまま動く”ことを、いまは引き受けてみたいのだと思います。

行動を先に置き、理解をあとから迎えにいく。その順序で進むことが、いまの自分にとっては誠実さのように感じています。


立ち会うという選択

女子フットサルの世界もまた、必然ではなく選択として存在しています。生活のためでも義務でもない。それでも人は、その舞台に立ち、全力を尽くす。

だから僕も、自分の立場からその瞬間に立ち会いたい。この競技に関わる者として、同じ時間を共有することに、どんな意味が宿るのかを見届けたい。

行動の正しさは、あとからしかわからない。それでも、迷いを抱えたまま動くことには、たしかな意味があると信じています。

きっとこの判断も、その過程のひとつなのだと思います。


※本稿は、メールマガジン「この判断で、よかったか?女子フットサルクラブの『経営』と『感情』の実録」の記事を、WOELFE PACKメンバー向けに再編集したものです。