コワイイ展にいってきました(2025年11月26日発行)
2025/11/26先日、「コワイイ展」という展示を見に行きました。
会場は高田馬場BaBaBaというギャラリー。
想像以上に賑わっていて、空間そのものがひとつの作品のようでした。
美しさと怖さは、遠く離れたものではなく、
かすかな境界の上で寄り添っている。
可愛いのに、なぜか恐れてしまう。
「コワイイ展」は、感情の「あいだ」をめぐる表現です。
展示を見終えたあと、強く残ったのは「なんかいい」という感覚でした。
けれど、その感覚をあえて深追いしませんでした。うまく言葉にできる手前で、立ち止まる。
説明すればするほど、輪郭が薄くなるような気がしたのです。
理路整然と語らない。ちぐはぐなまま抱えておく。その距離感こそが、いまの自分と作品とのちょうどよい関わり方のように思えました。
言語化の前で立ち止まること。その時間にも、きっと意味があるのだと思います。
AIと人のあいだ
今回展示されていた作品の多くは、AIを用いたアートでした。
どこまでが技術で、どこからが作家の“手ざわり”なのか。はっきりと線を引くことができないまま、作品はそこにありました。
その曖昧さは、不安よりもむしろ興味を引きました。
区別しようと思えばできるのかもしれない。でも、いまは無理に分けなくてもいい気がしています。
AIと人のあいだにある揺らぎもまた、作品の一部として受け取ってみたい。そんな気持ちになりました。
Sentakuさんとの再会
今回足を運んだきっかけは、Sentakuさんの出展でした。
展示そのものというより、Sentakuさんの作品を自分の目で見たい。その思いが、いちばんの理由でした。
実物を前にしたとき、画面越しとはまったく違う存在感がありました。ゆっくりと眺め、作品を一点迎え入れ、画集も購入しました。
アートを日常に迎え入れること。これは、思っていた以上に豊かな行為でした。
そして何より、直接「ありがとうございます」と伝えることができた。それだけで、今回足を運んだ意味は十分だったように思います。
ご本人から「応援しています」と声をかけていただきました。女子フットサルとも北海道とも違う文脈から届いたその言葉は、まっすぐに胸に響きました。
あとから効いてくる選択
作品をひとつ迎えたこと。直接「ありがとうございます」と伝えられたこと。
どちらも、自分にとって小さくない選択でした。
そういう判断ができた日は、あとからじわりと効いてくる気がします。
みなさんにも、言葉にしきれないまま大切にしたくなる出会いがありますように。
※本稿は、メールマガジン「この判断で、よかったか?女子フットサルクラブの『経営』と『感情』の実録」の記事を、WOELFE PACKメンバー向けに再編集したものです。