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スポーツマンシップ(2026年1月14日発行)

International Olympic Committee が展開したキャンペーン「Celebrate Humanity」の中に、こんな言葉があります。

You are my adversary, but you are not my enemy.
For your resistance gives me strength,
Your will gives me courage,
Your spirit ennobles me.

And though I aim to defeat you, should I succeed, I will not humiliate you.
Instead, I will honor you.
For without you, I am a lesser man.

── あなたは私の対戦相手だ。だが、敵ではない。
あなたの抵抗が私に力を与え、あなたの意志が勇気を与え、あなたの精神が私を高める。
たとえ打ち負かしたとしても、辱めることはしない。あなたを称える。
あなたがいなければ、私は今より小さな人間だからだ。

この言葉は、スポーツの価値を説明するための補足ではありません。

競技が成立する前提として、「相手をどの関係として扱うのか」を示しています。

つまり、スポーツとは何かを語る前に、どの位置に立つのかを示す言葉です。


判断に入る前の位置

スポーツマンシップという言葉を、自分は何かを教えるための概念として扱ってきたわけではありません。

正しさの旗印として掲げてきたわけでもない。

むしろ、判断を迫られる場面で、自分がどこに立って考えるか。その位置を確認するための言葉でした。

あらかじめ明確な原則があって、そこから答えを導いてきたわけではありません。

判断が先にあり、その都度どの関係を前提にするのかを選び続けてきた。

その位置を、あとから「スポーツマンシップ」と呼んでいるだけかもしれません。


知識にしすぎないという線

スポーツマンシップは大切な価値です。それを否定するつもりはありません。

ただ、それを「守るべき正しさ」として整理しすぎると、すぐに誰かの振る舞いを評価する基準になります。

自治体や教育の現場では、言葉は知識として扱われます。共有でき、再利用でき、制度に接続されていく。

だからこそ、自分はどこまでを知識として確定させ、どこからを確定させないかを意識してきました。

競技が相手の存在によって成立する構造までは説明する。

しかし、その先の「どう振る舞うべきか」は固定しない。

そこは各自が判断の中で引き受ける部分だからです。


合言葉にしない

チーム内部でスポーツマンシップを合言葉にすれば、それはすぐに正しさになります。

正しさになった瞬間、判断は省略される。

「スポーツマンシップだから」という理由で、考えなくてもよくなる。

だから自分は、この言葉を判断の理由には使いません。

使うのは、判断に入る前の確認としてだけです。

いま下そうとしている判断は、競技や社会を成立させる関係を壊していないか。

その確認を経てから、初めて判断に入る。

それが、自分が担うべき役割だと思いながら、引き受けてきました。


結果とは別のところで

この文章を書いている時点では、シーズン最終戦はまだ終わっていません。

配信される頃には、すでに結果が出ています。

けれど、この文章は結果によって書き直されることはありません。

扱っているのは勝敗ではなく、判断に入る前の前提です。

うまくいったから正しかった。うまくいかなかったから間違っていた。

そう整理する前に、どの位置に立っていたのか。

その一点を、ここに残しておきたいと思います。


スポーツマンシップ。

ぜひ、一緒に考えてみませんか。


※本稿は、メールマガジン「この判断で、よかったか?女子フットサルクラブの『経営』と『感情』の実録」の内容を、ブログ向けに再編集したものです