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3月8日国際女性デーを振り返って(2026年3月18日発行)

3/8 国際女性デーを振り返って

3月8日、国際女性デー。

この日にあわせて開催した「国際女性DAY ヴォルフェカップ #9 Empowered by ラセン」が無事に終了しました。

内容は、ワークショップと4v4のミニ大会。

準備の段階から、私はずっと「判断」の渦中にいました。やるか、やらないか。どこまでやるか。何を優先するか。

イベントを終えて残ったのは、単なる達成感ではなく、一つの静かな問いでした。


いくつかの“脳”が同居していた

振り返ってみると、当日の判断は一つの軸で動いていたわけではありません。私の頭の中には、いくつかの“脳”が同居し、それらが激しく行き来していました。

理系の脳。安全管理、コスト、時間配分。数字と条件を整理し、イベントとしての「成立」を担保する。

スポーツの脳。ゲームの質、ルールの適切さ、勝負の緊張感。「競技」としての本気度を追求する。

アートの脳。場の空気、象徴的な意味、言葉にできない違和感。国際女性デーに「なぜこの場があるのか」という問いを描く。

文脈(コンテクスト)の脳。女子フットサルの立ち位置、地域での役割、社会に対するクラブの態度を読み解く。

どれか一つが欠けても、あの場は成立しませんでした。

理系だけでは冷たく、スポーツだけでは深みが出ず、アートだけでは運営が回らず、文脈だけでは実行に移せなかったはずです。


「権利」ではなく、「理」があるか

最近、福沢諭吉が英語の「right」を訳す際、「権利」ではなく「権理」という言葉を提案していたという話を知りました。

単に欲望を通す力(利)ではなく、道理に基づいた正しさ(理)。

スポーツもまた、日本語には訳しきれない言葉です。

私はスポーツを「運動を伴うゲーム」と定義しています。そしてゲームとは「ルールに従って勝敗を競う遊び」です。

遊びである以上、そこには自律性と自発性が不可欠です。

3月8日のイベントは、開催する「権利」があったから実施したわけではありません。

「やるべきだ(=理がある)」と判断したから、実施しました。


遊びであり、社会の中にあるもの

スポーツは、遊びでありながら、社会の中に存在する以上、公共性や責任と無関係ではいられません。

遊びと公共性。競争と教育。娯楽と責任。

どの「脳」で考えるかによって、結論は180度変わります。

「この判断で、よかったのか?」

その答えは、数字や一時の成功だけでは測れません。

あの日、ボールが転がり、歓声が上がり、同時に誰かが問いに向き合っていた。その重なりの中にこそ、ヴォルフェ北海道が追求するスポーツの形があったのだと思います。

私たちの選択が、少しずつクラブの形になっていく。

その旅路は、いまもまだ、途中にあります。


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