スポーツビジネスはほぼギャンブル(2026年3月25日発行)
2026/05/15いま、自分が立っている場所
最近、北海道のスポーツクラブをめぐる厳しいニュースが続いています。
あるクラブは、売上や本業の収益性を確保しながらも、財務基準を満たせず制裁を受けたことを公表しました。また別のクラブは、大幅な赤字見通しとともに、債務超過を回避するための収益計上方針を示しています。
これらは、競技の良し悪しや努力の量だけで語れる話ではありません。勝敗や人気の有無とも、必ずしも一致しないものです。「スポーツビジネス」という言葉が、抽象論ではなく、具体的な数字や制度、そして期限を伴った冷徹な現実として、僕たちの目の前に現れてきています。
同時に、過去の記憶がよみがえりました。自分が新たにクラブを立ち上げようとしたとき、欧州のトップレベルを経験してきた方々から返ってきた言葉は、一様に「やめておくのが賢明だ」というものでした。
当時は、その言葉を理解したつもりでいました。スポーツビジネスがいかに困難であるか、知識としては持っていたからです。それでも僕は、立ち上げるという判断をしました。
今、その判断の是非を問うつもりはありません。ただ、当時よりもずっと切実な具体性を持って、スポーツビジネスという言葉の重みを感じている。その事実が、今の僕の立脚点になっています。
スポーツビジネスという前提の過酷さ
スポーツを事業として捉えたとき、その前提条件は極めて過酷です。
まず、成果の根幹である「勝敗」が、どれほどの投資や努力を重ねても完全にコントロールできないという点にあります。勝利の確率を高めることはできても、結果そのものを保証することはできません。
さらに、事業構造として「規模の経済」が働きやすいという特徴があります。人材、設備、露出。あらゆる面で規模が大きいほうが安定性を持ちやすく、立ち上げたばかりの組織には構造的な不利がつきまといます。
こうした構造は、今に始まったことではありません。意思決定に関わる立場の人たちの間では、ほぼ共通認識となっています。
しかし、前提を理解しているからといって、構造そのものが緩和されるわけではありません。現在の困難は、誰かの努力不足や勉強不足によるものではなく、この前提条件のもとで事業を続けること自体の難易度が、そもそも極めて高いという産業構造に起因しています。まずはこの事実を、背景として押さえておく必要があります。
「勝つこと」と「良いゲームをつくること」
ここで、「勝つこと」と「良いゲームをつくること」を、意識的に切り分けて整理しておきたいと思います。
まず、「勝つこと」は明確な結果です。リーグ戦の順位や昇格、報酬に直結します。プロである以上、勝利が最優先事項であることは疑いようがありません。
一方で、「良いゲームをつくること」は、結果だけでは測れない価値を指します。競技の強度、緊張感、戦術的な再現性、そして観る側がその時間をどう体験したか。そこには勝敗とは別の軸が存在します。
現実には、この二つが重なる場面も多くあります。勝利がゲームの質を高めることもあれば、勝っていても内容が伴わないこともある。逆に、負けたとしても人を魅了するゲームが存在することを、僕たちは経験的に知っています。
プロの現場では、この二つの変数をどちらか一方だけ追えばよい、という話にはなりません。勝つことを軽視すれば競技としての信頼を失い、良いゲームをつくる努力を怠れば、継続的に人を惹きつけることはできないからです。この文章では、この二つをあえて混ぜず、独立した課題として扱っていきます。
引き受けてきたものと、残る違和感
僕は、スポーツビジネスの難しさを承知の上で、この道を選びました。勝つこと、良いゲームをつくること。そのために毎日、秒単位で判断を重ね、少しでも確率を上げるための行動を続けています。
同時に、社会的な価値を収益に変えるという事業の定石も、愚直に実行してきました。稼ぐことは、どちらかが免除されるような性質のものではなく、等しく重要な前提条件だからです。
しかし、やるべきことをすべて引き受け、積み上げようとしても、なお「片手落ち」だと感じる瞬間があります。それは覚悟が足りないからでも、何かをサボっているからでもありません。一通りの義務を果たしたあとに、それでもなお残る説明のつかない違和感に近いものです。
この感覚が何なのか、まだ明確な言葉にはできていません。
いま見えている問い
では、その「片手落ち」の正体は何なのか。
現時点で答えは出ていませんが、いくつかの方向性は見えています。
一つは、ライセンスや財務基準といった、現場の努力とは別の次元で評価される制度の問題。もう一つは、個々のクラブの努力だけでは届かない水準に設定されている、成長の速度や規模の問題です。
そしてもう一つ、これはまだ仮説の段階ですが、「継続的に追われる価値」をどこで設計するのかという問いがあります。単発の集客と、人の時間や関心を線として預かり続けることは、別の難しさがあります。
女子フットサルの文脈では、親しみやすさは一つの入り口ですが、それは競技の本質や継続性を代替するものではありません。競技の強度を高め、安定して良いゲームを生み出し、それを一過性の点ではなく線として受け取ってもらうための設計図。
今、僕たちはその答えを探す途中にいます。
問いは見えてきましたが、答えを出すために判断を閉じることはしません。
現在地の記録として
勝つこと、良いゲームをつくること、そして稼ぐこと。
どれも逃げられない前提条件であり、毎日一つずつ丁寧に積み上げていくしかありません。それでもなお、構造的な空白に直面するのがスポーツビジネスという営みです。
僕はこの構造を嘆くのではなく、かといって簡単に乗り越えられるとも思っていません。今はただ、この違和感を誤魔化さずに抱え続け、次の判断へとつなげていくこと。
この文章は、そのための現在地の記録です。
※本稿は、メールマガジン「この判断を、正解にするために。」の記事を、NOROSI Digital向けに再編集したものです