まだ語らない、という選択
2025/07/15語らないというよりは、語れない。語ろうとすると、なにかが嘘になってしまう気がするから。
たとえば、「このチームには、どんな選手がいるのか?」という問いに、ちゃんと答えたいと思っています。SNSでも、現地でも、何度か訊かれてきました。
わたしたち自身も知ってほしい気持ちはあります。伝えたい場面はいくつも。誰かの目にふれてほしい横顔や、汗のにじみ方や、ボールを蹴る音も。
でも、その「伝えたい」は、ほんとうは誰のための言葉なのでしょうか。
伝えられない理由は、たぶんいくつもある
ひとつの理由は、選手との関係が「まだそこまで行っていない」こと。
もちろん「情報を出してもいいですよ」と言ってくれる選手もいます。それはうれしいことです。
でも、その言葉をそのまま発信の許可証のように扱ってしまうのは、ちがうと思ってしまう。
プレーすることと発信される存在になることは、似ているようで別のもの。
それを“まだわからない”まま進めるのは、ちょっとこわいです。
わたしたちは、今はまだ、選手を広告塔にはしない
応援してもらうために「見せる」のではなく、選手たちとクラブのあいだにちゃんとした関係性を育てる。
何をどこまで出すのかは、「発信の可否」ではなく「共同体としての輪郭」の話。
だから、今はまだ語らない。
語らないことでしか守れないものもあるかもしれない、と、今は考えています。
それでも、届けたくなる
もちろん迷いはあります。
たとえば夕方の体育館。走る音と、止まる音と、黙ったまま動いている選手たちの気配。その一瞬に「ああ、これはヴォルフェだ」と感じるときがあります。
その空気を、誰かに届けたいと思ってしまう。
でもそれを「発信」するには、まだわたしたちは、準備ができていないと思っています。
少しずつ「ともにつくる」かたちへ
すこしずつ関係は変わってきています。練習の密度も、会話の質も、チームとしての空気も。
ただのチームではなく、職場でもなく、友人でもない、共同体の輪郭。
発信とは、その輪郭のなかに誰を迎え入れるかという設計です。
だから、時間をかけています。
語らないこともまた、語っている
この状態がいつまで続くかはわかりません。
語りたい。でも語れない。だから今は、語らないことを記録しておきます。
わたしたちは、そういうクラブでありたいと思っています。
どんなクラブが信頼されるクラブなのか。
その答えは、関わってくれるあなたとのあいだに育っていくものなのだと、
今は思っています。