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スタートライン by rimb

日常のワンシーン

朝、まだ体のどこかに眠気が残っている時間に、玄関で靴ひもを結びながら、一度だけ床を見つめてしまうことがあります。

タイルの継ぎ目、ドアの枠、外へ続くアスファルトの端。
世界のあちこちには「線」が引かれていて、そのどれもがこちら側と向こう側を、きっぱり分けてしまうように見えるときがあります。

その日は、クローゼットから一枚の白い服を取り出しました。
柔らかな生地のうえを、色の帯がいくつも斜めに走っています。
よく見ると、その帯は同じ速さではなく、ほんの少しずつ、ずれながら並んでいました。

袖を通した瞬間、それが「ゴールライン」ではなく、自分の中のどこかでそっと引き直される「スタートライン」のように感じられました。
誰かと同じ地点に立てない日も、同じ速さでは走れない朝もある。
それでも、今日という一日にだけ引かれる線を、静かに確かめ直すような時間が、そこにありました。


作品の輪郭

rimb さんの「スタートライン」は、最初に見たとき、線よりも“重なり”の方が先に目に入ります。

ただ並べられた帯ではなく、ひとつの方向へ向かおうとする複数の意志が、微妙に異なる速度のまま寄り添っているように見えました。

この作品の出発点には、「V」があります。

WOELFE の「W」がふたつの「V」から成り、成功を象徴する形として扱われているように、rimb さんはその構造を自分なりに並べ直し、独自の配色で組み上げています。

左から右へ、色相環の点と点を結ぶように配置された色。

二つ並んだ「V」が、そのまま「W」をつくるように設計された構図。

色と形が“ひとつの答え”を示すのではなく、「始まりかたの違い」を静かに肯定するようなリズムをもっています。

そして、特徴的なのは4層のグラデーションがずれて重なっていることです。

そのずれは乱れではなく、意図的な「差異」です。

作者自身が語るように、

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「スタートラインは人それぞれ」「見える景色も人それぞれ」
というスポーツ経験から生まれた視点が、可視化されたかたちです。
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同じ色でも、同じ角度でも、わずかな“位置の違い”がある。

同じ競技に身を置いていても、同じ場所から走り出せるとは限らない。

その現実を、線の重なりとして描いている作品だと感じました。


この作品がつくった時間

展示空間の一角で、「スタートライン」はほとんど音を立てずに佇んでいました。けれど、人が近づくたびに、色の層がわずかに揺れて見える瞬間がありました。光の角度や、歩く人の影が重なることで、4つのずれが別々の呼吸をしているように立ち上がるのです。

作品の前に立つ人たちは、長く見つめるというより、一度だけ立ち止まり、また歩き出すという“速度”をしていました。
その短い時間のなかに、「自分の始まりがどこにあるのか」をそっと確かめているような静けさがありました。

選手たちが訪れたときも、この作品は同じ佇まいを保っていました。
ただ、彼女たちの影が重なった瞬間だけ、線のずれが少しだけ強く輪郭を持ち、まるで「いまの自分はどの位置にいるのか」という問いを照らすようにも見えました。

この作品がつくっていたのは、人を強く惹きつける派手さではなく、
「それぞれのスタートラインが、静かに、そこにある」という時間。
誰のことも否定しないまま、ある一点を指し示すわけでもなく、
その人がその人の速度で受け取れる余白だけが、展示のなかに残っていました。


なぜこの作品を日常へ歩ませると決めたのか

23点の応募作品から9点を選ぶ過程は、嬉しさよりも、責任の方がずっと大きい時間でした。
どの作品にも、それを描いた人の現在地と、小さな願いのようなものが宿っていて、線一本を選ぶことが誰かの線を外すことにもなる──その重さを最後まで抱えたまま、選定は進みました。

そのなかで「スタートライン」が静かに残り続けたのは、
ヴォルフェ北海道がいま向き合っている問いと、作品の構造が重なっていたからです。

クラブは同じ方向を向きながらも、同じ地点から走り出せるわけではありません。
選手の背景も、時間の流れも、立ってきた場所も違う。
それを“揃える”のではなく、“認めたうえで前に進む”という判断を、この一年で何度も求められてきました。

rimb さんが描いた「ずれた4層」は、その現実を否定せずに受け止めていました。
差異を整えないまま並べ、ひとつの方向へ向かう形として置かれていること。
それは、クラブが大切にしている「交差し、適応し、継承する」というテーマと自然につながっていました。

ふたつの「V」が並び、やがて「W」になる構造も、
“ひとりでは届かない線が、誰かと並ぶことで別の形になる”という、クラブの姿勢そのものと響いていました。

日常に歩ませたいと思った理由は、
作品が語るメッセージが強かったからではなく、
ヴォルフェがこの先も抱え続けていくであろう問いが、そのまま静かに刻まれていたからです。


終わりじゃない消費

作品を迎え入れるという行為は、
“気に入ったものを持つ”というだけの出来事ではないと感じています。

とくに「スタートライン」のように、
人の速度の違いをそのまま肯定する作品は、
手に取った瞬間よりも、その後の時間の方がゆっくり作用します。

袖を通した日が、自分の調子のいい日とは限りません。
前に進みたいのに、足の向かない朝もある。
そんなとき、この作品のずれた4層は、
「同じ速さでなくてもいい」という静かな許可のように寄り添ってくれます。

買うことが終わりではなく、
持ち主の日常に入り込んだあとに、
その人の速度で意味が育っていく──
そんな循環が生まれる作品だと思いました。

ヴォルフェ北海道が掲げる
“買う=応援=創造”
という小さな循環も、
誰かが無理に歩幅を合わせるのではなく、
それぞれが自分のスタートラインから関わっていくための構造です。

長く続く挑戦ほど、同じ地点に立てない者同士の“ずれ”が土台になります。
この作品が日常に入ることで、その土台がほんの少しでも強くなるなら、
それはクラブにとっても、ひとつの前進だと思っています。

静かな始まりを支えるための、一枚。
その時間が、ゆっくり育っていきますように。


作品名:スタートライン
作者名:rimb

WOELFEの「W」が2つ成功を目指すVからなるように、こちらの作品も「V」を並べて制作しました。配色は左から順に、色相環の中で点と点を結んだときにふたつのV、合わせてWになる配色を意識しています。グラデーションが4層でずれているのは過去のスポーツ経験から感じた「スタートラインは人それぞれ」であること、「見える景色も人それぞれ」であることを表現しています。その他、ポジティブで自由な解釈でお楽しみください。