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「ヴォルフェ北海道」の経営記録(2025年12月14日発行)

歴史上はじめて開催された女子フットサルワールドカップを、フィリピンの現地で観戦してきました。

試合の内容はもちろん、アリーナの空気、運営の動き、観客の反応、演出や導線、細かな機微まで。

「良かったこと」や「もっとできること」を整理したというよりも、見たもの・感じたことが、未整理のまま積み上がっている感覚に近いと思います。

大会が終わり、結果がすべて出揃ったいま、あらためて何が一番残っているかを考えてみました。

順位や勝敗、内容の評価よりも先に浮かんできたのは、「日本として、このワールドカップをどう次につなげていくのか」という問いです。

ただワールドカップが開催された。

現地に観に行った。

それだけで終わらせたくないという気持ちが、強く残っています。

ここから先は、この問いに対して結論を示すための文章ではありません。

世界の現在を見たあと、自分の中にどんな問いが残り、いまどこに立っているのか。

その整理のための記録として、書き残しておこうと思います。


現地で見えたことの断片

会場となっていたフィリピンの首都マニラのフィルスポーツアリーナは、率直に「素敵だな」と感じられる空間でした。

会場に入って最初に目に入るのは、競技そのものだけではありません。

MCがいて、音響があり、モニターがあり、警備が配置され、オペレーションを担う人たちが動いている。

大会が「段取り」と「人の配置」によって成立していることが、入口の時点ではっきりと見えました。

会場内では、次のメッセージが繰り返し提示されていました。

MASTER THE SPEED

BE ACTIVE

STAY HEALTHY

史上はじめて開催される女子フットサルワールドカップという大会の性格を、競技性と社会的な意義の両面から端的に示した言葉だったように感じます。

この大会が純粋な競技イベントであると同時に、啓蒙的な側面を持った場であることは明確でした。

一方で、想定はしていたものの、やはり細部まで整い切っているという印象ではありませんでした。

2階席のベンチシートの座り心地。

フードやホスピタリティの手薄さ。

決済の不便さ。

競技以外の部分で、観客体験が詰め切れていないと感じる場面はいくつかありました。

男子サッカーや女子サッカーと比べたとき、フットサルが置かれている状況の差を、現場の体験として受け取ることになりました。

ただ、それによって運営が破綻しているとは感じませんでした。

とにもかくにも、イベントの肝は無事故で安全に終えること。

その点では、史上初の試みは成功裡に終わったと言ってよいのだろうと思います。

観客の雰囲気は、素直に良いものでした。

得点や展開に応じて会場の温度が上がり、競技の流れに合わせて空気が動く。

「女子フットサル」という競技が持つ力で会場が成立していることは、はっきりと感じ取れました。

集客面では課題も見えましたが、スポンサーモデルを軸にした大会設計には、この競技の特性を踏まえた現実性も感じます。

今後、どの規模感を「適正」と捉えるのか。

その問いは、引き続き向き合っていきたいと思いました。

試合内容についても、国ごとの違いは明確でした。

ブラジルの個人技。

イタリアの試合運び。

パナマの盛り上がり。

タンザニアの熱量。

ニュージーランドの残り数秒のプレーは、スコアとは別の次元で競技の強度を示していたように感じました。

おぼろげながら、「女子フットサル」というコンテンツならではの見せ方を、うっすら想像できるような気がします。

僕たちも実験を繰り返していきたいと思います。

会場の周囲では、多くの大人がそれぞれの役割を担って動いていました。

音響、照明、警備、運営、オペレーション。

選手や競技の外側に、雇用や経済の層が確かに存在していることが可視化されていました。

また運営やメディアが、それをどう伝えるか工夫していることも、ところどころで感じました。

とにかく、伸び代がたくさんあると思います。

屋内競技であること。

競技面積が限られていること。

観客との距離が近いこと。

そうした条件が重なったとき、競技そのものだけでなく、空間・演出・運営の設計次第で、体験の質はまだ大きく変えられる余地があると感じます。

今回のワールドカップは、完成形を示したというよりも、「どこまで伸ばせるのか」「どこを詰めればいいのか」を具体的に想像できる材料を多く見せてくれたように思います。

大会を通して、実況の中では「fastest growing indoor sports in the world」という表現が繰り返し使われていました。

「世界でいま最も成長している屋内競技」という意味。

競技人口の増加や開催国の広がり、国際大会としての展開。

そうした背景を踏まえた言葉なのだと思いますし、会場の演出や大会全体のトーンともきれいに一致していました。

この競技にはまだ多くの余白があり、伸ばせる部分がはっきりと残っている。

成長しているという事実が、「ここからまだいくらでも工夫できる」「試せる余地がある」という前向きな手応えとして受け取れて、勇気をもらいました。


結果が出揃ったあと、残っている問い

大会が終わり、結果がすべて出揃いました。

順位や勝敗、試合内容についての評価や総括は、いくつかの場所で語られていると思いますし、正直なところ、いまの自分の関心はそこにはありません。

現地で見て、帰国して、時間を置いて振り返っても、頭の中に最初に浮かんできたのはもっと単純な問いでした。

日本として、このワールドカップをどう次につなげていくのか。

現地で感じた「伸び代」や「余白」は、抽象的な可能性論ではありませんでした。

屋内競技であること。

競技面積が限られていること。

観客との距離が近いこと。

それらが組み合わさったとき、体験の設計次第で、競技の価値はまだ大きく変えられる。

そうした実感を持って帰ってきたからこそ、この問いは避けて通れなくなりました。

ただ、この問いに対して「日本全体としてどうすべきか」「制度として何が必要か」といった大きな話をするつもりはありません。

それは自分の役割ではないと思っているし、ここで書くべきことでもないとも思っています。

自分ができること、そしてやるべきだと考えていることは、ヴォルフェの活動そのものです。

たとえば地域のイベントに参加すること。

それをやったからといって、短期的に日本のフットサルのレベルが上がるわけではありません。

世界大会を見た直後にやることとしては、遠回りに見えるかもしれません。

それでも、こうした活動を4年間、そしてその先でどれだけ積み上げられるか。

ワールドカップを見たからこそ、その時間軸から目を逸らしてはいけないと、あらためて感じています。

2002年の男子サッカーワールドカップ。

2014年のなでしこジャパンのワールドカップ優勝。

日本のフットボール界がそれらを経たいま、女子フットサルのワールドカップを現地で見て、自分の中でやりたいこと、やるべきだと思ってきたことは大きく変わりませんでした。

むしろ、間違っていなかったのだと静かに確認できた。

それが、結果が出揃ったあとに残った感覚です。

ワールドカップは終わりました。

でも、自分の中では判断はまだ途中にあります。

フィリピンまで行って、この大会を現地で見てきたこと。

いまはただ、行ってよかったと思っています。


このワールドカップは、誰に渡されたのか

今回のワールドカップを通して、「何が示されたか」「どこが足りなかったか」といった議論はいくらでもできると思います。

けれど、自分が一番考えているのは、この大会が誰に向けて開催され、その結果何が手渡されているのかという点です。

完成された答えや、明確な成功モデルが示された大会ではありませんでした。

むしろ、余白や未完成さがはっきりと見える大会だったと思います。

だからこそ、このワールドカップは、僕の解釈ですが、「見る側」よりも「これから関わっていく側」に向けて開かれていたように感じました。

競技を続ける選手。

クラブを運営する人。

地域で小さな活動を積み上げている人。

まだ輪郭の定まらない関係者たち。

この大会は、「ここからどうするのか」を、特定の誰かではなく複数の現場にそのまま投げ渡した。

そんな性格を持っていたように思います。

日本としてどうつなげるのかという問いも、結局は、その一つひとつの現場でどう引き取られていくかにかかっている。

その前提に立ったとき、自分がどこに立ち、何を引き受けるのか。

この問いを、これからも他でもないあなたと一緒に考えていくことになるのだと思っています。


※本稿は、WOELFE PACK(月額1,000円〜)向けに配信した記録を、公式サイト掲載用として再編集したものです